清少納言と紫式部の関係性について触れる! #大河ドラマ #女流作家

大河ドラマで話題になっている紫式部源氏物語の作者として、同時代の枕草子の作者である清少納言と共に、誰もが知る今でいう女流作家である。そんな二人の関係性について触れれてみたい。

 

清少納言紫式部は、共に一条天皇中宮の女房として仕えたが、時期の違いにより直接的な面識はなかったようではあるが、お互いに存在は知っていたと思われる。先輩にあたる清少納言(仕えた中宮清少納言は定子で、紫式部は彰子だが)の方が、紫式部はどう思っていたのかは分からないが、紫式部の方は、日記で清少納言のことを「得意顔で利口ぶって教養をひけらかしているけど、上っ面だけ。あんな人間が、ろくなことにならんでしょ?」と散々叩いている。日記なんで、まさか後世の人が見るとは思っていなかっただろうから、紫式部の本音と見ていいと思う。これは、仕えた中宮の違いによる政治的な意味合いに加えて、同じく才覚に溢れた二人の性癖の大きな違いによるものだろう。

 

紫式部は、日記で清少納言のみならず、他の女流作家に対しても毒舌を吐き、何と言っても自虐の限りを尽くしている。一の漢字も分からないふりをして自らの教養を隠した彼女に比べ、清少納言は自らの教養をむしろ宣伝するかのように随筆に表し、公開で毒舌の限りを尽くす。そんな調子なので、女房時代から、清少納言を悪くいう人がおり讒言もされていたようではあるが、これも定子を初めとした目上の人たちから信頼を得て、人気があった証であろう。「不細工は存在価値なし」、「自分の子供を、赤ちゃん言葉であやすバカ親にイラっとくる」、「舅や姑に可愛がられる婿や嫁って希少だよね」とか平気で書いちゃう清少納言は、今時で言えば、歯に衣を着せない物言いで、人気はあるが敵も多いインフルエンサーといったイメージか?痛快だけど、そら、紫式部ならずとも悪く言う人いるだろうと思う。酷いのは、戦後の学者や識者と言われる人たちまでもが、清少納言を「性悪」だの「ブスが文才をひらかしてるだけ」などと言っていた有様。逆に言えば、三大随筆に挙げられる枕草子には、執筆から1000年を経ても、それだけのインパクトがあるということだろう。

 一方の紫式部は、いかにも昔の日本女性というイメージ。今時で言えば、根暗な文学少女~女流作家という感じか?そりゃ、インフルエンサーとでは相容れるはずもない。さらに、仕えた中宮のブレーン間の争いの影響もあったであろうし、何と言っても清少納言枕草子で、紫式部の旦那まで「服のセンス悪!」と毒舌吐いているんじゃ、悪く書かれても文句は言えない。ただ、日記でそれだけ書くということは、紫式部清少納言は、相当意識するような存在だったんでしょう。

 

恐らく、直接的な面識はなかったであろう二人ではあるが、後世、ライバルと言うに足る関係性はある。そんな目で大河ドラマを見ると、また楽しめるのではなかろうか?