坂本城の石垣発見から、歴史に思いを馳せる

大津市内で明智光秀の居城であった坂本城の三の丸と思われし部分の高さ1m・幅30mに及ぶ石垣が、開発現場で発見され、先日、公開されていた。歴史に興味がない人たちには、「で?」かもしれないが、幻の城とも言われる坂本城について少しでも知っていれば、当時の様子の一端を映像で見られただけでも感慨深いものがある。今後、県が保存に向けて開発業者と話し合うそうだが、個人所有の土地だけに、よっぽど歴史に理解がなければ難しいとは思うが朗報を祈るばかり。

 

坂本城は、宣教師ルイス・フロイスが、当時、安土城に次ぐ豪華絢爛な城と記しており、もっと知名度と遺跡があっても良さそうなものだが、明智光秀自体が主殺しのイメージがつきまとい、廃城となった城も忘れ去られていた。現在も、琵琶湖畔の豪華な天守閣があったと思われる場所は、企業の所有地で、もちろん発掘はされていない。しかし、よくよく考えてみれば、坂本城は光秀が比叡山延暦寺掃討作戦の功により、京都の守護と比叡山の監視を目的に1571年に信長から築城を許されたのだから、1580年に完成した安土城よりも、はるかに早くから存在しており、築城時には、日本で一番立派な城だったということになる。そのような貴重な史跡は、再建とまではいかずとも、発掘された部分は残してもらいたいものである。将来的に、当時を再現するかのように、坂本城跡から安土までのクルーズできるようになったりすれば、貴重な観光資源となるかもしれない。

 

しかし、安土城坂本城という琵琶湖周辺に存在した日本一と二の名城が、共に歴史から消えてしまったのは、明智光秀が本能寺で織田信長を討ち、後に天下を取ることになった豊臣秀吉が、両城を廃城にしてしまったことによることは、時代の移り変わりを象徴しており、なんとも皮肉な感じがする。